おたくろぐ

とあるオタクの感想文書き散らし場所

祖母が亡くなった2

前回書き出したら大分気分は落ち着いてきたのでもういいかと思いつつも中途半端に終わるのもアレなので残りも書く。今回で終わり。

前回
祖母が亡くなった1 - ゆかりの日記

LINEに連絡が来てからは事務的に仕事をこなした。忌引きの手続きを行いなるべく休む間に迷惑が掛からぬよう仕事は片付けた。
常駐先の上司らが理解のある方々ばかりで助かった。

自宅へ帰る間に何回か両親と今後の打ち合わせをする。仕事中はいつ葬儀をするのか不明だったので忌引きを5/21まで頂いたが、葬儀・火葬と全てを2日後の5/19に済ませると聞いて、早っと思った。
どうやら親の知り合いに葬儀屋がいたらしく、事がスムーズに運んだようだ。

帰宅してからはあまり気が乗らず頭がぼーっとしたまま翌日を迎えた。前日はとにかく葬儀の事は考えたくなくて趣味に没頭した。
私が腑抜けている間に家族は老人ホームの荷物を整理していた。
申し訳なかったが外に出たい気分でもなかったので感謝だけした。

葬儀・火葬当日。気が重いまま起床。9時50分から開始という事で一時間前に出発。
朝飯は食べた。集中しないと倒れそうだったから、集中するために食べた。

使用した斎場は葬儀会場と火葬場が隣接しているので移動が楽だった。早く着いたので斎場付近を探索する。
多磨霊園が目の前にあり、周囲は住宅街だ。この辺の住民は斎場独特の雰囲気に耐えられるのだろうな。すごい。

待機室には私たちの他にも何組か葬儀・火葬待ちの人達がいた。
中にはまだ火葬が済んでいないのに大声で遺族年金ガーと井戸端会議をしていて、純粋にクソだなと思った。

そして時間になり祖母と再会する。死因は老衰だった。静かに息を引き取ったと言う。その様子は遺体からも読み取れた。
辛かっただろうが病死でない事は何よりだった。

棺の中の祖母を見て泣きそうになったが、その前に父親が泣き崩れてしまった。父方の祖母だから当たり前の反応だ。
ただ父親の態度を見て私は「私まで崩れたらダメだ」と悟り式中は明るく徹した。

最後に送った言葉は「今までお疲れ様でした。ありがとうございます。」

棺に思い出の品と花を添え送る時も父親はずっと泣いていた。男でも泣くんだなと思いながら火葬へ進んだ。
職員さん達のスムーズな対応のおかげで滞りなかったのはなにより。

火葬は体型によって焼き具合が変わるらしい。祖母の場合は50分かかった。
その間斎場スタッフと精算と今後のやり取りを聞いた。祖母の次は両親を送るから、私はこの話はじっくり聞いた。
両親は火葬代金12万、葬儀屋に30万程納めていた。人が亡くなるとこれくらいはかかるのかと実感できた。
今からお金を貯めておこうと思った。

遺骨拾いは時間短縮のため、遺族は足だけ拾って後は職員任せ。骨の部位を丁寧に説明してくれた。
歯にインプラントをしていたが、高熱で焼いても焼け残るものなのね。びっくり。
病死ではなかったので骨は十分残ったままだったのがせめてもの救いだ。

遺骨を抱え自宅へ戻り家に戻る前に塩を巻き仏壇に置いて手合わせして一旦終了。
だいたい12時頃になっていたと思う。

午後以降は、葬儀の時に泣かなくてよかったーと両親にホラを吹いていたが、夜になってから祖母の遺体が目に焼き付いていたのを思い出し、段々暗い気持ちになった。

Googleで「祖母 死 辛い」等と検索して他人の反応を見ていたが、泣く人もいれば受け止める人もいた。
ああ、泣いてもいいのかと分かった途端涙が溢れた。
自分にも人並みに泣くくらいの感情は残っていたのだと気づかせてくれた。

結局眠くなるまで泣き伏せ、今起床した次第だ。
両親は21日まで忌引きしなくてもいいとは言ったけど、気分的に仕事こなせる気がしないので21日まで休もうと思った。
老人ホームと最後の療養型病院の人に挨拶をして区切りをしてから次へ進みたい。

以上でやまなしおちなしいみなしのやおいの文章が出来上がったわけだが、生きている限り前へ進むしかない。祖母の死を乗り越え先を見据えなければな。

というわけで少し趣味にかける金を減らそうと思う。
今まで複数買いしていたのをやめるとか、本気で気にならないものは触れない等の選抜を強化していく。

金も時間も有限だからね。その分金のかからない、浪費以外の趣味に没頭することにします。